現代社会は日々進化するテクノロジーに支えられています。
スマートフォンの普及、AIの進歩、自動化技術の発展により、我々の生活はかつてないほど便利になっています。
しかし、それにもかかわらず、多くの人々の労働時間は一向に減少していません。
むしろ、仕事のプレッシャーは増し、ワークライフバランスの確保が難しくなっている現実があります。
なぜこれほど技術が発展しているのに、我々の労働時間は短縮されないのでしょうか?

様々な理由はあるのでしょうが、これに関する個人的見解は「働かざる者食うべからず」という風潮が未だに根強く残っているせいだと考えます。
生活保護の人に対する風当たりの強さが物語っているよね!

技術革新の約束と現実

1930年、経済学者のジョン・メイナード・ケインズは「孫の世代の経済的可能性」という論文で、技術の進歩により将来の世代は週15時間程度の労働で十分な生活ができるようになると予測しました。
同様に、1960年代には自動化により人々が余暇を楽しむ未来が描かれていました。
しかし現実はどうでしょうか?
日本では「過労死」という言葉が生まれ、多くの先進国でも週40時間労働が標準のままです。
スマートフォンのおかげで「いつでもどこでも仕事ができる」状態が実現した結果、むしろ仕事と私生活の境界が曖昧になり、常に仕事モードから抜け出せない人も増えています。

確かに今から100年後の未来とか言われると、AIばかりで「人間が働く」なんていう概念が残っているのかな?と思ってしまいますもんね。
労働時間短縮の幻想

技術の進化により、業務の効率化が進めば、労働時間が短縮されるというのは直感的に正しいように思えます。
しかし、実際には労働時間は減るどころか、長時間労働を余儀なくされる人々も少なくありません。
この背景には、以下のような要因があります。
生産性向上が新たな仕事を生む
技術が進化すると、単純作業が自動化される一方で、より複雑なタスクや新しい業務が生まれます。
その結果、労働者の負担は減るどころか増えることもあります。
労働時間の文化
日本をはじめとする多くの国では、「長時間働くことが美徳」とされる文化が根強く残っています。
たとえ業務効率が向上しても、定時に帰ることが評価されない職場も少なくありません。
経済成長と競争
企業は利益を最大化するために、テクノロジーを活用して効率を上げる一方で、さらなる業務拡大を図ります。
そのため、労働時間が減らず、新たな業務に時間を割くことが求められるのです。
仕事をさせるために、あえて無駄な作業を作り出しているという側面もありそうだよね!

「便利さ」が生む新たな負担

技術の進化は利便性を向上させる一方で、新たな負担を生む側面もあります。
常時接続のストレス
スマートフォンやチャットツールの発達により、仕事とプライベートの境界が曖昧になり、休日や勤務時間外でも仕事に対応しなければならない状況が生まれています。
情報過多の疲労
インターネットの普及により、膨大な情報が手に入るようになりましたが、それを処理する負担も増えています。
特に、仕事での意思決定においては、より多くのデータを考慮しなければならず、業務が複雑化しているのです。
「仕事が楽になる」の誤解
自動化ツールやAIアシスタントの導入によって、単純作業の負担は軽減されますが、その分、より高度な業務が求められるため、「楽になる」というよりも「求められる能力が変化する」ことが現実です。

便利になって可能なことが増えた分、色々なことを覚えないといけないという面倒くささはありますね。
解決策と今後の展望

では、この矛盾をどのように解決すべきでしょうか。いくつかの可能性を考えてみましょう。
ベーシックインカムの実現
技術によって生み出された富を再分配する仕組みとして、ベーシックインカム(最低限の生活を保障する普遍的な給付)の導入が検討されています。
これにより、生存のために働かなければならない義務から解放される可能性があります。
労働時間の再定義
一部の企業では既に週4日勤務や6時間労働を導入し、成功を収めています。
労働時間を短縮しても、集中力や創造性の向上により生産性が維持または向上する事例も報告されています。
「豊かさ」の再定義
物質的な豊かさだけでなく、時間的・精神的な豊かさを重視する価値観への転換も重要です。
「消費より体験を」「モノよりコトを」という動きは、労働時間の削減に繋がる可能性があります。
AIの進化で、「この作業にこんなに人数いらないよね」ってことが多発するだろうから、早いウチにベーシックインカムは導入してほしいところだよね!


「働かなくても大丈夫」という状況になれば、普通に働いていたとしても心にかなりの余裕が生まれますからね。
まとめ

技術は我々の生活を便利にする一方で、必ずしも労働から解放するものではありませんでした。
この矛盾を解決するためには、技術の使い方だけでなく、社会制度や自分自身の価値観を見直す必要があるのかもしれません。
テクノロジーが進化し続ける現代において、「なぜ働くのか?」「どう働くのか?」という根本的な問いに、改めて向き合う時期に来ているのではないでしょうか。

現在急速にAIが発達してきていますが、また労働に関しては大きく動く流れがきているような気がします。
さすがにもう「楽をすること=悪」みたいな風潮は薄れていくだろうね!
